若葉竜也インタビュー 『生きちゃった』

まずは完成した映画をご覧になられた時の感想をお聞かせください。

(若葉)「激しさ」にびっくりしました。自分が台本や現場で感じていたテンポと、完成した映画のリズム感は随分違って、意外なほどスピーディーに、パワフルに突き進んでいく。もっとしっとりした仕上がりを想像していたら、むしろ疾風怒濤の映画で。圧巻でした。現場も最高に刺激的で楽しかったんですけど、個人的には最初の試写でこそ石井裕也監督の凄さを本当に目の当たりにした感じでしたね。

石井組に参加するのは今回が初めてですね。

(若葉)はい。お会いしたのも今回が初めてです。僕らの世代にとって石井裕也監督は特別な位置にいる存在というか、若手監督のトップを走り続けているカリスマですし、もちろん監督の映画はずっと観ていましたから。
オファーをいただいた時のことは忘れられないですね。昨年(2019年)の8月でしょうか、僕、yonigeというバンドのMV(『往生際』)の監督をやったんですよ。その編集ルームで作業していた時、マネージャーが「次のなんだけど……」って仮台本を出してきて、そこに「監督・脚本:石井裕也」の文字が眼に入った時、戦慄が走って。「来た、石井裕也……!」って思いました。まるで果たし状のように見えたんですよ。
結局、その日の夜に興奮しながら読んで、よし、やろう。と。

クランクインは2019年9月15日ですから、そこからすぐの展開ですね。

(若葉)早かったですね。その後、(仲野)太賀から連絡が来て、「今、石井さんと飲んでいるんだけど良かったら会わない?」と言われ、夜11時くらいに中目黒の居酒屋で、三人で飲みました。それが石井監督との初対面。
お店の扉をガラガラって開けたら、一番奥の席に石井監督が座っていて、腕組んで目が充血していて(笑)。「うわっ、本物の石井裕也だ!」と。その時にも太賀と石井監督の間にある深い絆……師弟関係じゃないですけど、監督が太賀に向けている愛のある厳しさみたいなものを感じて。僕もいただいた台本に関して、幾つか自分で消化しきれてない部分とかを石井監督にお話させてもらいました。

最初に『生きちゃった』の台本を読んだ印象は?

(若葉)台詞が独特。石井監督ならではのエッジの効いた言葉が並んでいて、温度が高い。この台詞はある程度崩して発語するのが正しいのか、このままの温度感で言うのが正しいのか、僕の中に迷いがあって。生身の人間として、この言葉をどう自分の肉体や感覚に落とし込んで、映画的に出力していけばいいのか? これは難しかったし、実際苦戦しましたね。
現場でも石井監督に「もうちょっと台詞を堅く言って」と指示されたことは何度かありました。芝居全体の演出に関してはむしろ自由度は高いんですが、言葉に関してはニュアンスも含めて非常に厳密でしたよ。ものすごく丁寧に「今のだと少し会話が崩れてる」「もうちょっと丁寧に発音して」みたいなことを僕と太賀に細かく言ってくれた。やっぱりあの台詞の連なりは、石井監督の思考が凝縮されたものなんだと実感しました。

結果、これまでの若葉さんとは感触の異なる芝居の形が出力されているように思います。

(若葉)そうですね、今まで感じたことない呪縛感というか、鎖が一個ちゃんと手綱としてついている。それが石井監督の場合は「言葉」なんですね。台詞のひとつひとつに灼熱の温度があって、肌触りがゴツゴツしてる。そこで一個呪縛がかかる。それをどう役者が自分の持っているもので石井裕也に向かっていくか。全力で挑むしかない大きな課題を感じました。
しかも石井監督は、そこで僕らのことを全部見ている。無意識な体の動きとか、本当に細かいところまで。武田が何かを抱えている時に、手が震えたり、汗ばんだりしているところも撮ってくれるし。あの人間を注視する力の凄さは何なんでしょうね? こちらはそんな石井監督の振る舞いや判断の中にもヒントを探っていました。人物や場面の解釈をめぐっては、時には監督自身も「どういうことかわかんないんだよね」って率直に言われる局面もよくあったんで、そこは一緒にディスカッションしながら「こうだったのかも」って話をしました。

じゃあ言葉以外の部分は、まさに共同作業の中から映画が立ち上がっていくような感触だった?

(若葉)完全にそうです。もちろん石井監督という絶対的なリーダーは居ますけども、芝居もまずは「自由に一回やって」というところから始まる。どこかスタッフにも演出をつけているような印象でしたね。録音部にも照明部にも、もちろん撮影部にも。一方的に注文を出すんじゃなくて、各々の能力を引き出す形で演出していく感じ。その意味で、みんな「役者」。技術部門も同じように石井裕也という演出家から芝居をつけられて、その空気が練り上がっている風に見えました。

仲野太賀さんと若葉さんは盟友同士でもありますよね。

(若葉)長い付き合いです。ただ共演は少なくて、『流山ブルーバード』(2017~2018年/作・演出:赤堀雅秋)という舞台をやった時は一緒にがっつり芝居しましたけど、今回はそれ以来ですね。
自分と彼の芝居に対するスタイルやアプローチは随分違うような気がします。太賀の方が圧倒的に真面目。彼は本当に映画が大好き。ずっとデビュー作みたいな気持ちで現場にいると思うし。これを言うと本人は嫌がるかもしれないですけど、台本とか見ると書き込みがびっちりなんですよ。真っ黒になるほど。台本はボロボロで、その姿勢は常軌を逸しているように見える。僕は台本にほとんど書き込まないんですけど、太賀の愚直なまでのやり方を積極的に見習いたいと思いました。

武田という登場人物に関してはいかがですか?

(若葉)正直なところ、一回も役を掴んだという確信はないんです。近年やった映画の中では特にない。武田の感情がこうだから、と計算式で理解できるようなものではないなっていう感じがあって。「共感」の回路で武田に同化していく作業は100%諦めました。

それでも本番はやってくる。それで演技に踏み切れますか?

(若葉)僕は踏み切っていくタイプ。頭で消化できていないことも、実際に体を使ってやってみたら消化できたりする。どんな無理難題だと感じても一旦やってみる。それで明らかにおかしくなっている空気が現場に起こったら、「すみません」って自分から言ってみる。
だけど自分に不全感や違和感が残っても、「全然大丈夫だよ」って監督が感じていたり、スタッフも「何が気になってるの?」って言ってくれたら、ひとりよがりに拘っても仕方がないんで、そこは無視していいかなって。

武田は厚久と奈津美の不安定な関係を見守る側にいて、三人の中でも彼の人物像は捉えにくい。常に「受け」ですもんね。

(若葉)全部受け役。基本的には全演者の芝居を受けて、リアクションする。その意味では「反応」が武田の生命線になるので、余計に頭で事前に考えても無駄だと思ったのかもしれない。ひたすらその場その場に集中していたので。本番中、太賀の一挙手一投足を見逃さないようにしてたし。武田はきっとそうしていたから。背中だけでも厚久がどういう気持ちか汲み取ろうとしていた人間だと思うんで。逆に言うと、できることってそれぐらいしかなくて。
そんな調子だから、あんまり自分が本番中に何やったか覚えてない状態でカットが掛かっていました。「今の大丈夫だったのかな?」って思ってたらOKが出ていくっていう。本番の時だけ興奮状態に持っていって、武田の台詞を吐いている感じがしました。

そういう演技体験は珍しい?

(若葉)似たことを今まで感じたのは『葛城事件』(2016年/監督:赤堀雅秋)の時かな。あの映画では無差別殺人事件を起こしてしまう一家の次男を演じたんですけど、自分の理解が及ばないところに芝居を持っていくには、きっとガチガチのロジックじゃ無理だなって。
『葛城事件』の時は、すごい手前の方を共感しているイメージというか。自分が理解できるところは100%理解した上で、登場人物に共感はできないけど、同情する場所にいるっていう方法を取っていたと思います。今回もある種それに近くて、武田という人間の在り方に対して自分なりに寄り添う形。もちろん人間なんて、内面への入り口が一個だったらわかりやすいけど、本当は圧倒的に多面的で不可解なものですよね。誰だって矛盾だらけだし、こちらの狭い世界観での解釈が余分になることもある。だから物語上、今の武田はどこまで厚久の事情を知っているのかとか、曖昧な部分は自分の想像の中でやりました。訊いても、石井監督は答えを出さないので。「どうなんだろうね、どう思う?」って。僕はそもそも通りのいい答えを提示されても疑っちゃうタイプなんですけど、今回は特に安易な答えを出さない力や覚悟を問われたように思います。

厚久と奈津美に関しても、若葉さんにとって滑らかに理解できる人間ではない?

(若葉)はい、全然違いますね。すごくいびつな人たちだから。彼らがいびつな悩みをいっぱい抱えてて、だけどたまに笑ったり、たまに音楽を聞いて自分が解放されたりする瞬間があるから生きていける。きっと武田も、そんな一瞬の幸福のためにずっと耐えて過ごしてきたんじゃないかなって思います。
もちろんこれも僕の個人的な受け取り方に過ぎなくて、どっぷり奈津美に共感する人もいるだろうし、ある種の憧れを抱く人もいるかもしれない。記号的なキャラクターとはまったく違いますからね。「こいつはこういうキャラだから」と固めていかない。結局、性別とか関係なく石井監督が人間を丸ごと愛してるから、多種多様な捉え方ができる。
奈津美に関しては、凄まじい気迫で演じた大島優子さんの力も非常に大きいと思います。大島さんの芝居とか存在の露骨さには圧倒されましたね。肝の座り方を学びました。

現場での石井監督の佇まいはどういった印象でしたか?

(若葉)丁寧なんですけど、行動はサクサクと早い。テイクは基本ほぼ一発。多くても2~3発で撮っています。もちろん俳優部との対話は重ねてくれるんですが、根っ子のところでは絶対にブレない確信を持たれていたと思う。撮影中、石井監督の迷いはほとんど目にした記憶がない。弱気な姿なんかは一切見せない。最初にいただいた台本のことを“果たし状”って言いましたけど、本当にサムライみたいな人です。高潔で豪胆。いろんな役者たちが石井裕也っていう人間に熱狂する理由がわかった。特に男だと思うんですけど、「兄貴!」って(笑)。学生の時、生意気な後輩にも慕われているかっこいい先輩みたいな感じです。

ラストシーンは厚久と武田のエモーションが爆発しています。

(若葉)頭で考えていない、体で感じるしかないという意味では、ラストシーンがその最たるもので。ずっとどうしたらいいかわからないって思っていました。あそこは太賀との読み合わせもほとんどしなかったし、本番直前まで台詞もちゃんと頭に入っていないくらいだったんです。
前日は夜まで撮影していて、そのまま僕は太賀の家に泊まりに行って、たいしてラストシーンの話もせず、早朝に起きたらそのまま車で栃木の現場に行って本番に突入したんですけど……。気がついたら自分もいびつになっていて、あのシーンが撮れた。石井監督からは「ゲロ吐いちゃった、みたいな感じ」ってことしか言われなかったんで。「武田がゲロ吐いて、厚久がもらいゲロするっていうシーンだから」って。

若葉さんご自身も「すごいの撮れちゃった」って公式コメントで仰っていましたよね。

(若葉)試写を観た時に、自分が自分で見たことのない顔をしていたので(笑)。めちゃくちゃ恥ずかしいけど、それ以上に嬉しかった。人様に見せちゃいけない顔をしている。太賀も見たことのない顔してましたもんね。本当に芝居のメソッドとか計算とか、演技のアンサンブルとか組み立て方みたいなことがまったく通用しない次元でやった。やっぱ芝居論なんて嘘ですね。そんなもん、土壇場じゃ通用しない。芝居論でやれたら楽だし、やれるもんなら、やってみろと思う。あの本番の時は無我夢中で、あんまり覚えていない。例えば中学校の時とかに、友達と殴り合いの喧嘩とかして、終わった後もしばらく意識が空白になっている時とかあったじゃないですか。あんな感じ。でも台詞はほとんど台本そのまま。本当はそれくらい余計な自我がぶっ飛んだ状況で全シーンを撮るべきなんでしょうね、役者って。

本当に純度が高い。役者としてひとつの理想に達した時間が記録されていた?

(若葉)そう思います。しかもラストシーンのあと、石井監督は奈津美が殺害されるシーンを続けて同じ日に撮っていたんですよ。
とりあえずラストを撮り終わったという安堵感で、太賀と僕はステーキを食べに行って、部屋に戻ったら寝ちゃって。完全に集中の糸が切れちゃって。その後、撮影場所のラブホテルのメイク室でボケーっとしてたら、隣の部屋から大島さんの叫び声が聞こえてきて。そこでハッとしたというか、もう一回手綱をしめて、撮影の最終日まで駆け抜けないとなって。大島さんの叫び声で「お前ら、最後までちゃんとやれよ」って言われた気がしました。
そんなわけであの日は本当に疲弊したんですけど(笑)、石井監督はその2つのシーンをずっと演出していたわけです。すごいですよ。疲れているような素振りなんて一切見せないし、どんどんボルテージが上がっていくような。石井監督の尋常じゃない熱量を目の当たりにしましたね。

クランクアップした時は放心状態でしたか?

(若葉)はい。それでクランクアップの後、メインスタッフみんなでハイエース(トヨタのワンボックスカー)に乗り込んで、車中で打ち上げしながら帰ったんですよね。そこから新宿に着いて、またみんなで呑んで。ほとんど伝説として聞いていた、昔ながらの映画人のノリなんですよ(笑)。普段の映画の現場ではわりとサラッと解散するし、僕なんか気がついたら帰っているタイプ。だけど今回は楽しかった。自分が監督した時も、もうちょっとライトでいいから、こういう打ち上げをやりたいなって。

最後に、『生きちゃった』というタイトルについてどう感じますか?

(若葉)石井監督自身の内面からポロッと出た言葉なのかなと思った。監督の今、頭にある言葉。これだけ重いお話でも、肯定の光を必死で模索している。石井監督の映画は、露骨で生々しい。剥き出しで人間を愛している。ある意味、どの作品もテーマは一緒というか、石井監督の中にある根底はずっとブレていないから、アプローチは違えど、表現したいことは今回も同じという印象がありました。人間讃歌っていうとちょっと臭いかもしれないけど、『生きちゃった』はまさにタイトルからして、その究極という気がしますね。