仲野太賀インタビュー 『生きちゃった』

石井裕也監督の作品に参加されるのは、TBSドラマ『おかしの家』(2015年)の第9話、映画『町田くんの世界』(2019年)に続いてになりますが、監督との交流は随分以前からあったそうですね。

(仲野)はい。出会いは10年近く前ですね。自分が10代後半の頃からお世話になっています。石井裕也監督の映画は学生の頃から観ていました。日常の場でお会いする石井さんも、映画界における石井監督も、自分にとってはとても大きな存在です。とても尊敬している人です。

今回は主役ということで、『生きちゃった』の台本が来た時は興奮されたんじゃないんですか?

(仲野)正直びっくりしました。「このタイミングで回ってくるとは!」って(笑)。
石井組のど真ん中でお芝居をする事は、俳優としての一つの目標でもあったので・・・心臓が飛び出るかと思いました。僕自身、石井さんから受けた影響が沢山あります。恥ずかしい話ではありますが、何か悩みにぶち当たった時に心の拠り所にしている人なんです。
石井監督とがっつりタッグを組むってことは、自分の正念場というか、今まで積み上げてきたものだったり、自分の真価が問われる現場になるはずだと。大きな挑戦だなと思いました。武者震いしかなかったです。

厚久という役についてお聞かせください。『町田くんの世界』の時はコミカルな高校生役でしたが、今回は30代の男性。ご自身の実年齢より上の役で、幼い娘を持つ父親でもあります。

(仲野)父親役は以前にもやらせてもらったことはあるんですけど、テーマとして自分が父親であるってことがフォーカスされている作品は今回が初めてでした。撮影時、僕は26歳で、30代という年齢の感覚も、父親の感覚もまだ実感できるものではないので、厚久を演じる上で説得力を持たせる作業は苦労した部分でもあります。今まで以上に父親とは何なのかについて考えさせられました。

どうやって厚久という人物像の回路に入っていったんでしょうか?

(仲野)とにかく石井監督とディスカッション、コミュニケーションの時間をたくさん取らせてもらって。監督がクランクイン前に浮かんだアイデアを共有してくれたりとか、自分もヒントをもらって、自分の中で見つけた答えらしきものを石井監督に提示して。監督自身も父親ですし、その感覚で導いてもらった感じでした。

例えば厚久にしろ、武田(若葉竜也)にしろ、石井監督の中にある一部分を拡大したところが確実にあるように思います。

(仲野)そうでしょうね。石井監督が普段話すことだったり、会話の中で感じる石井裕也像が僕の中にあるので、それも大切なヒントになっています。ただ厚久に関しては、今の時代を生きている人の、この時代の気分みたいなものも大きく取り入れているので、そこの部分こそ僕が演じることで効果的に表現できればいいなって。
おそらく監督自身も厚久っていう存在について、絶対的な答えを握ってる訳でもなかった気がします。そんな中で、厚久の中にある解決し難い悲しみみたいなものこそ、自分が表現すべき課題なんだろうなと。実は結構特殊な役だったんじゃないかなと思っています。

厚久はなかなか自分の気持ちを言葉というツールを使って表すことができない。あるいはしようとしない。それが今の日本人の自我の在り方に重なっている。そこは太賀さん自身が実感するところでもありますか?

(仲野)僕自身は厚久より遥かにモノを言えているかもしれないし、あれほど自分の感情を押し殺すことはないと思うんですけど、ただ時代の空気としては、どこかでみんな本当のことや言いたいことを、声を大にして言えていない。例えばSNSでも体裁を取り繕ったり、炎上を気にしたり、政治に対しても消極的だったり。「抑圧された感覚」ってものが今の20代~30代の本質的な気分じゃないかと思っていて、その象徴としての主人公が厚久なので。
石井監督とよく喋っていたのは、厚久は「聖人になりきれなかった人」みたいなことです。厚久の中ではそうありたい気分があるけど、なりきれなかった俗人である。役作りとしてはそういうスタートでした。

そう考えると、厚久の兄・透(パク・ジョンボム)はアウトサイドにいる聖人ですね。厚久と兄は通じ合っている存在。そこは肝になりますね?

(仲野)まさに。厚久の兄が天使だとしたら、厚久は天使の弟で天使未満の存在。でもそうありたいひとりの男が、ラストに向かって、むしろ人間の側に戻っていく物語だという風に考えていました。

不安定な厚久は、武田という親友にしっかり支えられていますよね。若葉竜也さんと太賀さんは長い付き合いだとお聞きしましたが。

(仲野)すごく長いです。監督と出会うより前……12~13年前からの付き合いですね。最初は僕が中学生で若葉君が高校生の時。だから実際、厚久と武田の関係性へのシンクロはすごくあったと思います。お互い10代の頃はそろって辛酸を舐めていたというか(笑)。家も近所だったので、コンビニの前でコーヒー牛乳を飲みながら長い時間喋ったりしていました。最高の友だちでもあるし、素敵なお兄ちゃんでもあるし。なので、いつか映画でがっつり一緒にやりたいね、なんてことはずっと話していたんですけど、それが他ならぬ石井監督のもとで結実していったことは、自分にとってすごく不思議です。

武田という人間はほとんど厚久のことしか見ていない。奈津美(大島優子)も含めた三人の関係性の中でしか生きていない。そこが世界のすべてという緊張感が漲っているせいか、この映画は静かなシーンの熱量も非常に高いですね。

(仲野)それは嬉しいですね。僕も若葉君も大島優子さんもそうですし、もちろん他のキャストもスタッフも、全員がこの脚本を信じていたし、何より石井監督を完璧に信頼していた。みんなのベクトルが定まっていて、「凄い映画になる」という確信も持っていたので、絶対に外したくない気分を共有していた。日数も限られていますし、何回も同じことができるような質感の芝居でもないので、ただ座って喋っているだけのシーンでも、一回一回にすごく緊張感があったんです。

役者さんのドキュメンタリーを観ているような感じもありました。いわゆるドキュメンタリー的な自然さじゃなくて、演じることでしか出ない、フィクションでしかできない人間の生っぽさに満ちている。

(仲野)本当にそう思います。厚久というキャラクターの象徴性にしろ、社会の描き方も、あくまでフィクションとして本質を可視化させた作品だと。
脚本のト書きも面白かったんですよ。「街に人が溢れていて虫のようだ」とか「実存感のないこの景色で」とか、抽象的な一文が入っていたりして。
石井監督の中にも厚久を通して、人間の温もりを描くとなった時に、無味無臭で生きている実存感がないこの世界ってものがキーワードにあった気がする。だからこそラストに一気に温もりも感じさせたいし、そこに愛があれば、映画を観てくれる人に届くんじゃないかなって。

奈津美についてどう思いますか?

(仲野)強くいなきゃ生きていけない女性の儚さ。奈津美は厚久や武田と違い、感情を激しく吐露するんですね。そういう意味ではパワフルなのですが、生命力と儚さ、あるいは怒りと悲しさみたいなものがぴったりくっついているように感じました。
奈津美と厚久が一緒のシーンでも、ほとんど奈津美が喋っているんです。厚久はグッと堪えて聞いていて、自分の気持ちも、怒りも悲しも押し殺して、という風にしているのですけど、奈津美が感情を吐き出さないと保てないようにしているのはそんな厚久の態度のせいなんですよね。
もっと厚久が言いたいことを言えてれば、きっとこうはならなかったし。その意味では、奈津美の方が厚久以上に辛い状況に追い込まれていたのかもしれない。

厚久と奈津美は負の連鎖が働いてしまう相性とも言えますが、一方で厚久と武田は強くまっすぐな絆で結ばれている。その想いがある種沸騰するのがラストシーンだと思いますが、あの撮影のあと、同じ日に奈津美が殺害されるシーンを撮ったと聞きました。

(仲野)はい、とんでもない1日でした(笑)。もともとラストは最終日に撮る予定でしたが、天候だったり色々な都合で少し前倒しになって。
これは裏話ですが、当日の午前中、僕と若葉君、監督とカメラマン、録音さんが車に乗ってロケ場所の住宅街を回ってまして、あとは午後になってから芝居を詰めて撮影すると全員に伝えられていたんです。
実際にそのつもりで始まったのですけど、たぶん石井さんが車の中で「今だ。もう撮りたい」という想いが前のめりになったんでしょうね。「ごめん、このまま本番行っちゃおう」と突然おっしゃって、そのまま最後まで行っちゃったんです。

その流れのままですか?

(仲野)僕も若葉君も「マジか~!」って慌てながら、でも「やるしかない」って、ボルテージが一気にマックスまで上がった感じになって。こんなライヴ感のある撮影は経験したことがなかったですね。

おかげでラストシーンには凄まじいテンションとエモーションが生まれた。ドッキリみたいな演出ですが(笑)、石井監督も急に思いついたということなんですね。

(仲野)そうですね。石井さんの衝動に僕らも突き動かされましたし、撮影全般を通して、その場その場で湧き上がってきた初期衝動みたいなものを大切に、想いのまま走り抜けた感じでした。
しかもそのラストシーンを撮って、放心状態のままお腹ペコペコで、若葉君とステーキを食べに行って。「美味いね。俺たち頑張ったね」なんて話して。それから次の撮影場所のラブホテルにみんなで向かって、待機用の部屋でボ~ッと休憩していたんですね。そうしたら隣の部屋から、奈津美を演じる大島さんの壮絶な悲鳴が聞こえてきました……。あの日は自分の役者人生の中でも、一生忘れられない一日になったと思います。

太賀さんにとって、若葉竜也とはどんな役者ですか?

(仲野)稀有な存在だと思います。若葉君の個性は10代の頃から輝いていたけど、20代を経て30代の今、唯一無二の存在感を放っているなと。
それはきっと彼がこれまで歩んできて、選択を続けてきた人生の生き様がそうさせていると思います。お芝居を一緒にする上で、全幅の信頼を置いているので、若葉君の前では心置きなく演技ができます。それはどこか厚久と武田の関係に近くて、自然と重なる気がします。たぶん他の俳優さんだったら、もう一段階お互いに寄り添わなければならなかったり、ひとつ扉を開かなきゃいけなかったかもしれないですけど、今回その必要がなかったのは大きかったですね。

大島優子さんの印象は?

(仲野)大島さんも以前共演させてもらったことはあるのですが、ここまでがっつりご一緒したのは初めて。僕も新鮮な気持ちでやれたと思います。これはみんな口を揃えて同じことを言うと思うんですけど、大島さんの奈津美という役への切実さや本気度にはもの凄いものがあった。
大島さんの役に対する想いが、現場全体のエネルギーを引き上げたのは間違いない。大島さんに奈津美をやってもらって本当に良かったなって思います。

石井組の現場の印象の中でも、今回特に際立っていたものはありますか?

(仲野)石井組は三回目ですけど、過去二回の現場は短い日数の参加だったので、ここまで長い時間の撮影は初めてなんです。最初から最後まで石井監督と一緒に過ごした二週間は、まさに至福の時間でした。本当に楽しかったです。石井組って「野球チーム感」があるんですよ。通常なら俳優部が参加しないようなところにも参加させてもらえたし、本当にみんなで映画作りをしている。この一体感は他の現場ではなかなか味わえないものですね。
石井監督の演出はヒントを常に出してくれるんですね。そのヒントをこっちが広げていって、一番ピークに達する時にパッと撮ってくれる。素早い連携プレーのような……その感覚って凄いなと思いますね。

石井監督の書く台詞には独特の語感がありますよね。意味や観念がごろっとした形で込められていて、言葉が重くゴツゴツしている。そんな石井裕也の台詞を肉体化する作業に関してはいかがでしたか?

(仲野)僕は石井監督の書く台詞廻しがすごく好きで、でも確かに台詞を口に出した時の難しさはあると思います。それは全部監督の意図に基づいて、厳密に選ばれた言葉ばかりだと思うので、こちらの感覚で適当に崩せるようなものではない。だから石井監督のプラン通りにやらせてもらいました。自分が言いやすいように発語しちゃった時はやっぱり注意を受けましたね。
個人的に思うのは、僕が得意とすることだったり、芝居の癖みたいなものが削ぎ落とされていく感覚を覚えました。
つい楽な方に行っちゃうのが人間の生理だと思うんですよ。僕自身もそうですし。どこかで自分が居やすい様に、自分が座りやすい様に、自分が話しやすい様に芝居を寄せていく。それを今回の現場ではすべて削ぎ落とされたと思います。石井監督からは「絶対に楽をしないで欲しい」と常々言われました。

この映画は「原点回帰。至極の愛」(B2B(Back to Basics)A Love Supreme)という企画から生まれた作品です。太賀さんにも原点回帰という想いはあったのでしょうか。

(仲野)ありましたね。実は芸名を「太賀」から「仲野太賀」に変えたすぐ後の撮影だったんです。自分は役者を13~14年くらいやっていますけど、クランクイン前はナーバスになっていました。本当になんだか試されている気分で。
ひとりの人間として、ひとりの俳優としての想いはもちろん、日本映画界においても石井裕也監督の存在は大きな希望だと思っています。
そんな監督の作品で主役を務める機会が訪れた。僕の代表作になる、絶対そうしてみせる、と思って撮影に臨みました。

最後に、完成した映画をご覧になられた時の感想をお聞かせください。

(仲野)まぎれもなく石井裕也映画だなと思いました。その中にあまり“自分の知らない自分”が映っていたことに驚きましたし、凄く嬉しかったです。
自分が考えて、思いを巡らせて表現したことが、自分の思いも寄らないところに結実していくのは表現としての理想だと思っています。でもやっぱりそうならないこともたくさんあって、自分の思ったものが思ったまま出てしまうこともあります。
今回に関しては、それだと絶対この勝負には勝てないんだって最初からわかっていたし、そこで逆に視界が開いていったというか、目の前にいる若葉君だったり大島さんだったりから刺激を受けて、自分の意識や限界を超えていく瞬間がとても多かった気がします。
僕自身が言うのも変ですけど、本当にこのチームで『生きちゃった』をやれたのは奇跡だなって思いました。