映画『生きちゃった』寄せられたコメント

※敬称略、50音順

言葉や感情に誠実であろうとすればするほど
それらは行き場を失う
確かな自分を誠実に求めることも
誰かを傷つける
距離をとれば済む?
間違えば傷つくものは排除する?
『生きちゃった』はそんな「いま」に
誠実に「否」を叫ぶ
それは激しい祈りのようだ

新井英樹漫画家

身体の中で大切に育てた言葉も
口にしてしまえば淀んだ大気の一部になる
直れ。と言われて初めて
前に習えをしていることに気づくこの世界で
私たちはそれでも日々を繰り返さなければならない

池田エライザ女優

久しぶりに、心から、あー邦画を観たと思った。旧作になりそうでならなかったあの準新作のシールとか、映画館のロビーで握りしめたチラシの束を思い出しながら、やっぱり日本映画って面白いと思った。

尾崎世界観クリープハイプ

本当の気持ちをちゃんと言葉にして表現するのは簡単じゃない。
アンバランスな世界で必死に今を生きる登場人物の姿に、心が揺さぶられました。

佐藤拓也androp

九月の終わりに、川崎に住んでいる僕の友達は離婚危機の只中にいます。奥さんが置き手紙を残し、まだ小さい子どもを連れて突然出ていったと。電話口で彼は泣いている。彼は普段あまり映画を観る事はありません。僕は彼のような人にこそこの映画を観てほしいと切に願う。まだ間に合うよ。だから。だってこの映画は僕にそう語りかけてきた。まだ間に合うよ。だから。

峯田和伸

映画を見終わったばかりの僕は、胸が苦しくてたまらない。誰もが「こんなはずじゃなかった」と思って生きているところに不意に突き刺さってくる。「こんなはず」って何だったのか、本当にやり直せないのか、自分は逃げてきただけなのか。封印したはずのリグレットを、不意に開封されて、僕は自分がただの大根役者に思えてきた。

最近、自分の感情がうまく働かなくなっていると感じることがある。悲しむべき時なのに、嫉妬すべき時なのに、感情が生じてくれない。生じたと思っても、一瞬後には、感情が折り畳まれてしまう。気持ちを伝えようとした瞬間、その気持ちがあるのか分からなくなって、萎えている。

なぜ、自分は「心にもない」言葉を、相手に投げつけるのだろう。相手の「心にもない」言葉を、なぜ、自分は真に受けたかのように振る舞うのか。相手の本当の気持ちが分かっているというのに、いったい、どうしてしまったのだろう。自分が言葉の自動機械みたいだと自覚していても、自動機械の動きに抗えない自分がいる。

思えば僕らは、中高生の時はいつも一緒にいて、時空を共有していた。大人になると、時空の共有はいっときで、たいていはみんなが別の時空を生きている。だから自分のことは本当は分かって貰えない、相手のことも実は分からないと思っている。それでモヤモヤが溜まって爆発するから、言葉が暴走して「心にもない」ものになるのか。

いずれにしても、言葉が不自由になった僕らは、もうやり直せないのだろうか。そんなはずはない…だって、自分にも相手にも、言葉にできない本当の思いがあるから。でも、そう思って現実に抗うほど、人と人とを隔てる時空の壁に打ちのめされる。そんな時、子供が相手なら昔に戻れるかもと希望を託すなら、それは自己中心的すぎるだろうか。

宮台真司社会学者
BG